20年前の
8月12日、私は秋田の祖父宅(母の実家)にいました。夜8時過ぎ、晩酌をする祖父と一緒にテレビを見ていたら*1、ニュース速報が流れました。羽田から伊丹へ向かう飛行機が行方不明になったという内容でした。速報は何度か流れ、墜落したかもしれないという内容に変わり、とうとう番組は中断されて臨時ニュースが始まりました。
そんなにはっきり覚えているのは、何日か違えば自分も乗っていたかもしれなかったから。当時私は大阪に住んでいたのですが、その夏休み私と母と弟は*2、まず秋田へ行って1週間ほど過ごし、その後東京周辺へ行って父の実家や親戚宅や母の友人宅を訪れて更に1週間ほど遊び*3、それから大阪へ帰る予定でした。私が幼稚園の頃、飛行機(ジャンボジェットじゃないやつ)に乗ったら乱気流でめちゃくちゃ揺れて姉弟揃ってゲーゲー戻した、というトラウマ(?)により久しく飛行機には乗っていなかったのですが、もうその頃には平気になっていたので、じゃあ帰りは飛行機にしようか、と言っていたところでした。結局、事故後すぐに飛行機に乗るのは怖かったので、帰りは新幹線になったのですが*4。
すごくたくさんの人が亡くなったことや、事故で亡くなった人に自分と同じくらいの年齢の子供もたくさんいたこと、奇跡的に助かった少女も2つ3つしか違わなかったこと、家の近所にも亡くなった人がいたこと、家が伊丹空港に割と近かったので常に飛行機が頭上を飛んでいて、あの飛行機もここを飛んでいたんだろうなあと思ったこと。そんなことから、更にこの事故は私の頭に焼き付きました。*5
そういうわけで8月12日というと、Jの誕生日よりも先に、日航機墜落事故を思い出します。もうあれから20年も経ったのか……。テレビでその遺族を追ったドキュメンタリーを見ていて、まざまざと当時のことを思い出しました。もう二度とあんな事故が起こりませんように、というか、起こさないでください。